令和元年を振り返って①

2019年がスタートした時に、私にとっては平成時代が31年で終わり、新天皇の新たな時代が始まることくらいの認識でした。犬養万葉記念館にとっても激動の年となったきっかけは、元号発表のその4月1日が犬養孝先生のお誕生日であったという偶然からでした。国書『万葉集』から考案された元号ということで、がぜん『万葉集』が注目を浴びることになりました。

私どもの施設、犬養万葉記念館が「万葉」のつく館であったことで、新聞、テレビ、ラジオをはじめ、数多くの取材を受け、明日香村の犬養万葉記念館も注目を浴びましたが、「4月1日」は今も毎年西宮市の犬養先生のお住まいであった久寿川小舎(とおっしゃっていました)に犬養ゼミの甲南女子大生OBが集合する日で私も行っておりました。偶然とはいえ、犬養先生の御霊さまの前で取材を受けたことも、犬養先生も同席してくださっていたようで、望外の喜びでした。

犬養先生の著書も、現行では記念館で『万葉の旅全3巻』と歌碑本を販売するのみでしたが、秋には平凡社から『万葉集を歩く 犬養孝がたずねた風景』という新刊書も出版され、レジェンドの学者犬養孝先生をあらためてご紹介できる機会となったことも思いがけないことでしたが、今年の締めくくりにはビッグニュースのプレゼントがありました。12月28日の朝日新聞の夕刊で西日本の広域に「万葉学者 現地主義にじむ書簡」として、昭和10年代に書かれた書簡約40点が見つかったことの記事の掲載です。犬養先生の筆まめは有名でしたが、戦前の書簡の存在は珍しく、また戦前の台北高等学校勤務の頃も現地台湾から文通され交流を続けておられた田邉幸雄氏との関係も含めて、新たな犬養先生の側面をうかがい知る貴重な書簡が、第二次世界大戦で焼失もせず、犬養先生のご存命中には封印されていたわけで、令和という記念すべき年に発見されたことの奇遇を思わずにはいられませんでした。田邉幸雄氏は東京大学の5年後輩とか、犬養先生とは連名で笠金村・高市黒人の本を出しておられます。記念館蔵書にもその他『初期万葉の世界』と『万葉集東歌』という著書があり、私も知識として存じ上げていた万葉学者でした。残念ながら昭和38年に50代後半で逝去されており、田邉先生もお元気ならば私たちの犬養先生との思い出の中にきっと存在された方であったに違いありません。

この1年、世間が「令和」「万葉ブーム」で沸く中、逝去されてから20年以上も経った今も、私たちの心の中に輝き続けてくださる犬養先生。犬養先生のたましひはこれからも「いろんな形で」永遠に私たちを導いてくださることでしょう。②では、「館長がんばる!」の巻です。